毒親から離れるまでの記録

毒親から離れることができるまでブログを更新し続けます。

22年間、毒親に育てられるとどうなるか 「人格形成」編

こんばんは。

前回の過干渉編で次回は人格形成編と予告してましたのでその続きになります。

前回の記事を見ていない方はまとめて他の記事も見て頂ければ幸いです。

で、軽くまとめると

軽い暴行、ひどい暴言、全否定、過干渉を繰り返されていたわけですが

結果的に私は、自己肯定感が皆無になり、自信が全く持てず、無表情っで笑顔も作れず、何をやっても心から楽しむことができなくなりました。

自分の意見も言うこともできません。意見って何が正解とか正しいとかなくて自分の思っていることを言えばいいだけですがそれができないのです。

相手のことばかり考えて顔色伺って、どうすれば怒られないか

それだけを考えます。他のことは考えません。考えることを放棄します。

思考停止します。何がよいことか何が悪いことなのかどうでもいいのです。

親に怒られなければいいです。それだけです。

笑っても気持ち悪いと言われ、

怒っていたらキレられ、泣けば男なのに泣くなと。情けないと言われて育ちました。

なので私は基本的に仏頂面であり、笑うことはありません。愛想笑いもかなり苦手です。

学生時代は人のことばかり考えて生きてきました。どうすれば嫌われないかいじめられないかそれだけを考えてきました。今思えば、馬鹿だなと思うのですが

学生時代は学校と家がすべてなのです。もっと広い世界がありながら狭い閉鎖的空間に縛られて何もできない。そんなものです。だから過剰に嫌われないかを考えます。

今はインターネットが発達していて様々な情報を手にいれることができます。この記事も見れているわけで、インターネット空間は第三の居場所ともいえると思います。

なので、ネットがあることによって救われてる子もいるのかと。これに関しては賛否両論あると思いますが・・・デメリットとしてラインなどで24時間いじめられるとかね

裸の撮影されたりとかあるわけじゃないですか・・・

色々あると思うのですが・・・

中学いじめられてたので携帯、スマホはあったものの3割も持っていなかったので

持っていないほうが普通というか多数だったのでそいったいじめはなかったからよかった面もあり、非常に難しいです。高校からスマホって人がほとんどでしたから

人のことを考えてばかりで、こんなこと言ったら嫌われるや何かに言ったあとに

どんなふうに捉えられてるかとか思ったりして、心の中で反省会をします。

いつまでも引きづるんですね。

何を言われても耐えて我慢して自分が耐えれば丸く収まる。そうして

ストレスが溜まり、心を病みます。家でも学校でも居場所がない。

どこにいっても希望はなく、いつしか死にたいと思うようになりました。

毎日、一日が尋常じゃないくらい長い

長い、長い、長すぎる。勉強にも集中できない。

補足ですが、勉強ができなくなって無気力になったのもありました。

基本的、無表情、無気力でやることが基本的に何も継続できなくなります。

自信がないからです。努力できなくなりました。

説明できないですが、自堕落な人間になりました。

そして、うつ病にもなりました。

間違いなく、精神的なダメージは大きいので今も精神科や心療内科に通ってます。

親は一応、知っていますが・・・・

双極性障害というものです。これになってから母は急に優しくなりました。

母も父と似ていて、人の気持ちは分かるもののそこまで優しいとは思いません。学生時代から否定は多かったですし・・・

精神が病んでるときも軽く責められましたし・・・

「なんで今まで言わなかったの?」いえる状況ではないし、言っても信用してくれないと

判断したからです。結局なにやっても無駄、反抗するだけ無駄であり、面倒ごとは起こしたくありません。なので無気力などうつ症状がある程度出ながら放置し続けた結果

大学三年時に躁鬱(双極性障害)になってしまいました。当時(高校生の時)は本当に申し訳ないですが知識も浅く、鬱は甘えだと思ってました。家庭がそうでしたから

鬱状態はありながらも、放置してました。慣れというものは怖いものです。

一度、受信してみようと考えますが、精神科などは予約日まで2週間以上かかります。

一時的に落ち込んでいて、予約日の二日前辺りで症状はマシになってるわけです。

なのでキャンセルを二回してました。そんなわけで高校時代は一度も受診せずに放置してきました。大学時代も一年のころも生きづらさはなくならず、自分の意見などいえないし、コミュニケーション能力などありませんし、友達もできず、ぼっちでしたし辛かったですね。自分でもどうすればいいかわからくて辛かった。

なにより人を信用していなかったので誰にも頼らない完璧主義みたいな所もあり

孤独を楽しんでいました。人に頼ったら負けみたいなことを思っていましたので

つまらん一円の価値もないプライドがありほんとに情けない。人に頼ればもっと楽

なのに何もできない。信用できない。最悪でした。

人間関係上手くできません。今でもそうです。

ラインなど一か月連絡ない人ブロックするし、ライン退会して作り直したり

人間関係をリセットすることもあります。

こんなに人嫌いでも人と関わる機会は多く、ゼミの報告やバイトのシフトやサークルのグループなど

色々ありましたが、今残っているのはゼミだけです。おそらく今までの傾向見るに

卒業したら退会すると予想できます。

友達(私は友達とは思ってない)のグループも即退会しますし確実に病気だと思います

なんか断捨離みたいな感じで捨てたくなります。

んで、新しい人とライン交換でまた離れるの無限ループの大学時代でした。

バイトも中々ひどかった上、続かなかったのでこの話もまた後日にできればよいかと思います。そんな感じで今回は人格形成編でした。最後まで見ていただきありがとうございました。では次回

 

 

 

 

 

 

22年間、毒親に育てられるとどうなるか「過干渉」編 胸糞注意 愚痴多め・・・

 こんにちは。お久しぶりです。毎日更新するつもりができていませんでした。

三日坊主のくせが出てしまいました。

言い訳としてパソコンの調子が非常に悪くて書くと固まってしまい

書く気が失せたこともありました。いつも雑な終わり方をしておりますので

あまり期待しないでいただきたいところであります。

本日は土曜日。親が家にいて大変居心地が悪いです。

仕事に行けばいいのに。ホワイト企業毒親は最悪です。

大体休みの日家にいるし。

残業してかえってくるなよ。どこか海外にも異動になってほしい

そんなわけで家には祖父と父と私が現在いるわけですが母がいない

母はパートに行っており毒の父は家にいます。

もう足音が聞こえるだけで無理です。ストレス半端ない。

私は、反抗期などとうに過ぎていますし、22歳。

この年齢で親嫌いって中々いないと思う。

今まで育ててありがとうとか言ってもらえる親は理解できません。

「お前は親に対しての感謝が足りない」とかほざいてましたが

精神的に虐待して人の人生破壊してるやつが何言っているんだろうと・・・

害悪過ぎる

極端な話、私は「生んでください」なんて頼んでません。

勝手に作っておいてなにを言うんでしょうか

なにが感謝しろですか・・・絶対に感謝しません。恨みしかない

それで本題ですが本日は過干渉編

過干渉・・・過剰に子供のことに口出ししたり、必要以上に干渉することです

私は学生時代に過剰に干渉されました。

最もひどかったのが小学~中学にかけてです

高校は転勤になってくれたので5年間一か月に一回土日に

顔を合わす程度でしたのでまだ楽でした。でも高校でもひどかった

 具体的な内容としては、数個あります。何をいっても否定する上、自分が納得するようなことじゃないとお金を出さない。欲しいもの買ってもいいとか言っておきながら

後々、文句しか言わず、結局一番安いものしか買えない 買うものに対しては

過剰に干渉してくる。「誰のお金で買ったんだ、誰のお金や」それしかいいません

外食なんかもサイゼリヤが豪華だと思っていた時期がありましたし、マクドナルドくらいしか外食はありませんでした。それで子供に「マック買ってやった」って自慢してるんですからね。ほんとにケチなやつです。情けない

外食はしたことはほぼありませんでした。

そのくせ自分は飲み会に頻繁に行っていましたが次第に回数は減っていました

周りの人にも迷惑をかけていて愛想尽かされたのでしょう

飲み会のあとは、家で暴れるし最悪でした

夜中の2時くらいまでやってるし精神的に限界でした

中学時代にはほぼ飲み会に行くことはなく(迷惑だから誘われないので)

私や家族に八つ当たりをしていたのでしょう

子供をサンドバッグとでも思っているのでしょうか

弱いものにしかいじめることしかできないゴミくずのお手本のような人です

常識的に考えて傷つくことしかいわない

暴言を吐く、人の部屋に勝手入る、ノックをせずに入る(ノックせずに入るのが当たり前だと思っていた)

部屋のものを漁る、鍵付きケースのスペアキーを作り勝手に見る

スマホを勝手に見る(おそらくパスワード解除をどこかで見ていた)

部屋の鍵を取り外す 最悪ですよ 

それで文句しか言わない。なにもプライベートはない

勝手に見ておきながら酒が入ると平気でスマホの写真とか見ておきながら

二次元の画像などあれば徹底的に批判してくるのですから

「お前は犯罪者予備軍」「ろくな人間じゃない」「キモイ」など言ってました

会社内でもコミケなどサブカルチャーのイベントに参加する人がいて、そのひとの

こともたたいてましたね。「いい年してきもすぎる」と。自分は酒を飲むことしか

趣味がないくせにその上、人に迷惑をかけているのだから。何も知らないくせに人を否定するのは最低です。あと病気の人も馬鹿にしていました。過敏性腸症候群(お腹が弱い病気、確か安倍総理もなってた)会社で漏らしてしまった人がいたらしくて

嘲笑ってました。その人はそれからオムツを履いて勤務しているそうですが

そのこともネタにして馬鹿にして・・・・

ほんとにその方に申し訳ないですね・・・こんな父で・・・・

本人の前で言うとパワハラに当たるので言わないそうですが・・・言わないのが当然ですが・・・さすがに言ったらアウト

病気などどうしようもないことに言うのは一番私の嫌いなことです。

全部、自分に跳ね返ってくるのが分からないのでしょうか

私が言うのもなんですが、ろくな死に方しないと思う

ほんとにはやくいなくなってほしい

本日はここまで。

 次回は、今までされていたことに加えて毒親に育てられたらどういう人格形成がされてどんな人間になったかを書く予定でございます。

閲覧ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「親に感謝することは当たり前?」いいえ、私はそうは思いません

 

どうもこんにちは。

三回目の更新になります。

過干渉編を更新しようかと思いましたが

嫌なことを思い出す上、親が家に今いるので

書くことはやめ、お題を変更しております。

みなさん、親に感謝してますか?

このブログにたどり着いた方は感謝したくない

憎い、嫌い、そういったマイナスの感情を持った方が大半ではないでしょうか

私もそうです。

親には感謝しろと言われますが感謝される要素が見当たりません。

父の日とか嫌いでした。今でも嫌いです。

何もあげたくありません。

子供に感謝されるのは当然というスタンスを親はもっているので

どうしようもありません。

なので、大学で親に感謝しているとかそういうの聞くと

君は暖かい心休まる幸せな家庭で育ったのだと思い

共感できません。

ふーん、よかったねって感じです。

だからそういう話はしたくありません。

基本的に人と話すときにタブーなものって三つあるなあと

思っていて

政治、宗教、性(LGBT)に関してはかなりセンシティブな話題なので

触れるのはよろしくないかと思います。

あとめんどくさいのが、親に感謝しなきゃだめだよと言ってくるやつ

お前は私の家の何を知っているのか

なんなのでしょうか

意味がわかりません。

大体、親の足音が聞こえるだけで嫌な気分になるのですよ

心臓も早くなるし、緊張状態です。

親の前でそんな風になるのかと問いたいくらいです。

というわけで家庭の問題も上記の3つに加えて4つにすべきだと思います。

人それぞれ家庭の事情は違うのだから

何もしない外野が偉そうに口を挟むべきではありません。

親に感謝したい人は感謝したらいいし、したくないんだったらしなくていいんですよ

というか親に感謝できません。

無理なんですよねどうみみても

 

 

 

 

 

22年間、毒親に育てられるとどうなるか 「否定編」小学~中学時代

 こんばんは。第二回目の更新になります。誤字脱字、ご容赦ください。

先に謝罪しておきます。すみません。

今回は否定編です。前回は暴行、暴言編。興味がある方はご参考までに。

さて、本題にはいります。

否定。

やることを全て否定されていました。

何か始めてもだめだ、お前にはできない、無理

そういわれ続けました。

それだけなら問題ありませんが厄介な点がもうひとつ。

私は、小中学時代サッカー部に所属していました

小学校時代のサッカーは保護者同伴のケースが多く

会場に向かう際も親の送り向かいは必須でした。

試合は毎週、土日祝日に行われます。試合がない日は午前午後のどちらかが練習。

土日に休めない親の子は基本的に母親が同伴で来ている子が多かったです。

来れる親でも行きたくない親の方もいると思うのでそういった親の方は

父親か母親のどちらかが来る。そのような感じでした。

当時は片親だと思ってましたが・・・・

私の父は基本的に試合中には何も言いません。自分よりも強い人や年齢が高い人がいる場合無口です。

問題は家に帰ってから

夕食の際に詰められます。

なんで決められなかったやへたくそなど傷つくことを言ってきます。

点を決めても偶然。まぐれ。たまたま運がよかっただけ

あの子のほうがうまい。なぜできない?

そういったことを言われ続け私は土日が苦痛でしかありませんでした。

それに加えてもうひとつ厄介な人がいます。

私は、同学年の中ではうまい部類だったので、

一つ上の学年の試合にもほぼ試合に出ていました。

そこでも点を決めることもありました。

その中で厄介なのが、副キャプテンの上級生です。

彼は、県の先発メンバーにも選出されていて周りには彼に逆らう人はいません。

一番うまいのに副キャプテンです。

もうね人望がないんですね。これは明らか。彼の母親もそこそこヒステリーで

めんどくさいひとで当時は苦手でした。

キャプテンは人望もあって理解もあって褒めてくれる優しい先輩でした。

精神的支柱に近い感じです。メンタルクラッシャーとは大違いです。

試合中もずっとでかい声でミスしたら怒るし、切れられます。

最悪以外のなにものでもありません。相手チームもおとなしくなるほど

向こうの選手たちもお気の毒でした。

話が逸れましたが、父の話に戻ります。

続いて練習編。

練習の際もそうです。

練習がある日は、毎回、保護者が当番をします。

一応、防犯面のこともあると思いますが

大体年に4回ほどです。なので試合に来る親は多いですが

練習に来る親は少ないです。

特に予定がない親や子供が心配な親は見に来ますが

毎週来る親は私の家だけです。

私の親は、土日祝休みで残業も全くしなくてよい会社に勤務していますので

土日は必ず見に来ました。

近くの駐車場に車を止め、バレないように車越しに見ています。

結局、私が気づくことはなくても周りにチームメイトが

言ってくるのでわかります。

夕方、家に帰り夕食の際に言われるんですね。

来ないでほしいとお願いしても

聞く耳を持ちません。嫌なことは受け入れません。

文句しか言われません。

最悪でした。本当に辞めたくてしかたなかったですが

辞めると辞めるでお前は弱いだのなんだの

言われることは分かっていたので

辞めませんでした。

身体を動かしているので、ある程度のストレス発散にはなってました

ストレスの発散法がサッカーだったのです。

中学時代もサッカーをしてましたが一年足らずで辞めました。

なぜか?

これも父です。

父はホワイト企業に勤務しています。

企業名はテレビの広告でも流れることがあり、世界的にも知名度がある会社です。

一度は、聞いたことのある会社だと思います。

いっつも5時15分ごろに帰宅します。

中学の部活の練習時間帯は大体6時で終わります。

練習の最後のほは何をするか。練習試合です。

時間帯的に見に来るのですね。

ほんとに最悪でした。私の家は中学から近い距離でしたので

徒歩5分ほどでたどり着きます。

そのため、・・・・・察してください。

もうね以下無限ループですよ

否定に始まり否定に終わる。

本当に嫌で嫌で仕方なかった。

こんな理由で部活を辞める人はレアケースだと思いますが当時は滅茶苦茶

辛かったし、しんどかった。抜毛症(自分の毛を抜くこと)にも一時期なっていました。

思春期は暗黒時代でした。

おそらく鬱に近い精神障害なものは確実にあったように思います。

クラスでも全くなじめず、半分いじめなようなことを受ける。

家族にも否定される

心苦しくて仕方ありませんでした。

居場所はどこにもないのですから

というわけで、親にされてきた小学、中学否定編でした。

中学ではいじめられたのと親の否定具合も特に変わらないので

今回はここまでとします。雑で申し訳ないですね。

次回は、過干渉編の予定ですのでよろしければ閲覧して頂ければ幸いです。

ありがとうございました。

22年間、毒親に育てられるとどうなるか「暴行、暴言」編

おはようございます。本日よりブログを開設しました。どうぞよろしくお願いいたします。

まず簡単に私の自己紹介です。

現在22歳の大学四年生で卒業は確定しており四月から新社会人として働くことになります。文章めちゃくちゃ下手です。本当に大学生なのかというレベル…すみません

誤字脱字が多いかもしれないです。

最後まで、閲覧して頂ければ幸いです。

趣味は最近はフォートナイトにハマっております。後はおいしいもの食べたり、気が合う人と一緒に出掛けることです。

 早速ですが、タイトルの通り私は毒親に育てられました。毒親というのは、子供を虐待したり、精神的に追い詰めたり、子供に悪影響で害のある親のことだと考えてもっていただけたらと思います。

私の場合、父親が毒です。母親はそこまで悪く言うつもりはありませんが、私が精神的におかしくなってから優しくなったので多少害はありました。精神的におかしくなった話も後日。

具体的にされたこととしては、やること全て否定、人格否定、暴言、暴力(稀に)、過干渉、です。

これらが起こるのは大体お酒を飲むときでした。シラフ(お酒が入ってないとき)でも何でも否定してくる父でした。お前には無理など数えきれないほど言われどれほど自信を失ってきたことか…

お酒が入ると暴れまわり、物を破壊し、ドアを無理やりこじ開けてきたり、死ね、殺すぞなどの暴言、誰のおかげで生活できていると思っているんだという怒号が飛び交い、母が止めるも突飛ばしたり、携帯を破壊(当時のガラケー)を折ったりめちゃくちゃでした。最近も母のスマートフォンを破壊しそうになってました。母はあざができケガもしてました。ほんとなんで別れないのか。別れる選択肢はなかったのか。けど、母にもそれなりの考えがあるのかもしれませんが…

そして、翌朝言うことはいつも同じ。「そんなこと言っていない。覚えていない。もし、本当だったとしても俺を怒らせるお前らが悪い。」証拠の音声を出しても効果は全くなく、改善する気もない。暴れまわり、手が擦り剝けたり、ケガをした場合、私ら家族を責めました。

「お前がやったんだろ。はい。慰謝料。」最悪でした。これは一日だけでなく、しつこく何度も何度も何度も忘れずに言ってきます。明らかに加害者なのに被害者面をしており腹が立ちます。謝罪されたことないですね。プライド高くして謝罪できない人なのです。子供は金銭的部分では親には逆らえません。確かに稼いできてはいるものの子供に暴言を吐くのはいかがなものかと思いますが…

周囲には、子供に怪我させられた等と言いふらしており、私らが悪者でした。

怒号は、近所でも確実に把握されているものの誰も何も言ってきません。近所で騒がしい家は私の家だけです。隣の方は非常におとなしくていい人でしたが、迷惑なら確実に言ってほしかった。警察に相談や連絡してほしかった。

泣き叫ぶ声やモノを破壊する音など確実に聞こえているはずなのだから…

なぜそれが分かるかというと私が夜、外に出かけていた時、三軒となりの家まで怒号が聞こえてきたからです。もう恐怖です。

おそらく近所の方は、仕返し等されることを恐れたのではないしょうか。せっかくローン組んで建てた家なのに…近所に地雷がいるのですから…お気の毒で申し訳ない気持ちです。家は疲れを癒したり、ゆっくり出来る場所のはずが休まらない。かえってストレスになってしまう。そんな家に誰が帰りたいと思うのですかね

もはや害などではなく、公害です。

そんなわけで私は近所の方には、哀れんだ目で見られたり、迷惑そうな顔をされたりするのが分かっていましたし、現にされていました。子供って結構人の表情を読み取るのがうまいというか分かるんですよね。子供は敏感なのかもしれません。

本当に一度怒りのスイッチが入ると寝るまで爆発、完全燃焼しない限り収まらない人なのですから…警察は民事不介入(個人間の争いには関わらない。事件が起きない限り動かない)ですので効果は薄いかもしれませんが誰でもいいから助けてほしかった。

こちらは警察など呼べる状況じゃないのだから。呼んだ場合本当に命の危険性があったため恐怖で何もできませんでした。反撃されるのは目に見えていました。それくらい暴言、暴行というものは恐ろしいものです。人の正常な判断力を壊してしまうのだから。ある意味洗脳です。

そんな生活が現在まで続いているわけです。そんなに嫌なら家を出ればいいという反論も出るかと思いますが、やや田舎なため金銭的に無理なのです。就職は地元でしました。大学は都市部の大学で一人暮らし。仕送り額は5万円。あとはアルバイトで稼いでました。ここの話はまた後日。大学編か何かで書きます。(たぶん、一番ここが気になるかと思います。これまでされて何故戻るのか)

 

具体的に書くと言いましたが、書けていないですね。過干渉、やること全て否定

人格否定もまた後日に書くとします。今回はアルコールによる暴行、暴言編でした。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。