毒親から離れるまでの記録

毒親から離れることができるまでブログを更新し続けます。

22年間、毒親に育てられるとどうなるか 「否定編」小学~中学時代

 こんばんは。第二回目の更新になります。誤字脱字、ご容赦ください。

先に謝罪しておきます。すみません。

今回は否定編です。前回は暴行、暴言編。興味がある方はご参考までに。

さて、本題にはいります。

否定。

やることを全て否定されていました。

何か始めてもだめだ、お前にはできない、無理

そういわれ続けました。

それだけなら問題ありませんが厄介な点がもうひとつ。

私は、小中学時代サッカー部に所属していました

小学校時代のサッカーは保護者同伴のケースが多く

会場に向かう際も親の送り向かいは必須でした。

試合は毎週、土日祝日に行われます。試合がない日は午前午後のどちらかが練習。

土日に休めない親の子は基本的に母親が同伴で来ている子が多かったです。

来れる親でも行きたくない親の方もいると思うのでそういった親の方は

父親か母親のどちらかが来る。そのような感じでした。

当時は片親だと思ってましたが・・・・

私の父は基本的に試合中には何も言いません。自分よりも強い人や年齢が高い人がいる場合無口です。

問題は家に帰ってから

夕食の際に詰められます。

なんで決められなかったやへたくそなど傷つくことを言ってきます。

点を決めても偶然。まぐれ。たまたま運がよかっただけ

あの子のほうがうまい。なぜできない?

そういったことを言われ続け私は土日が苦痛でしかありませんでした。

それに加えてもうひとつ厄介な人がいます。

私は、同学年の中ではうまい部類だったので、

一つ上の学年の試合にもほぼ試合に出ていました。

そこでも点を決めることもありました。

その中で厄介なのが、副キャプテンの上級生です。

彼は、県の先発メンバーにも選出されていて周りには彼に逆らう人はいません。

一番うまいのに副キャプテンです。

もうね人望がないんですね。これは明らか。彼の母親もそこそこヒステリーで

めんどくさいひとで当時は苦手でした。

キャプテンは人望もあって理解もあって褒めてくれる優しい先輩でした。

精神的支柱に近い感じです。メンタルクラッシャーとは大違いです。

試合中もずっとでかい声でミスしたら怒るし、切れられます。

最悪以外のなにものでもありません。相手チームもおとなしくなるほど

向こうの選手たちもお気の毒でした。

話が逸れましたが、父の話に戻ります。

続いて練習編。

練習の際もそうです。

練習がある日は、毎回、保護者が当番をします。

一応、防犯面のこともあると思いますが

大体年に4回ほどです。なので試合に来る親は多いですが

練習に来る親は少ないです。

特に予定がない親や子供が心配な親は見に来ますが

毎週来る親は私の家だけです。

私の親は、土日祝休みで残業も全くしなくてよい会社に勤務していますので

土日は必ず見に来ました。

近くの駐車場に車を止め、バレないように車越しに見ています。

結局、私が気づくことはなくても周りにチームメイトが

言ってくるのでわかります。

夕方、家に帰り夕食の際に言われるんですね。

来ないでほしいとお願いしても

聞く耳を持ちません。嫌なことは受け入れません。

文句しか言われません。

最悪でした。本当に辞めたくてしかたなかったですが

辞めると辞めるでお前は弱いだのなんだの

言われることは分かっていたので

辞めませんでした。

身体を動かしているので、ある程度のストレス発散にはなってました

ストレスの発散法がサッカーだったのです。

中学時代もサッカーをしてましたが一年足らずで辞めました。

なぜか?

これも父です。

父はホワイト企業に勤務しています。

企業名はテレビの広告でも流れることがあり、世界的にも知名度がある会社です。

一度は、聞いたことのある会社だと思います。

いっつも5時15分ごろに帰宅します。

中学の部活の練習時間帯は大体6時で終わります。

練習の最後のほは何をするか。練習試合です。

時間帯的に見に来るのですね。

ほんとに最悪でした。私の家は中学から近い距離でしたので

徒歩5分ほどでたどり着きます。

そのため、・・・・・察してください。

もうね以下無限ループですよ

否定に始まり否定に終わる。

本当に嫌で嫌で仕方なかった。

こんな理由で部活を辞める人はレアケースだと思いますが当時は滅茶苦茶

辛かったし、しんどかった。抜毛症(自分の毛を抜くこと)にも一時期なっていました。

思春期は暗黒時代でした。

おそらく鬱に近い精神障害なものは確実にあったように思います。

クラスでも全くなじめず、半分いじめなようなことを受ける。

家族にも否定される

心苦しくて仕方ありませんでした。

居場所はどこにもないのですから

というわけで、親にされてきた小学、中学否定編でした。

中学ではいじめられたのと親の否定具合も特に変わらないので

今回はここまでとします。雑で申し訳ないですね。

次回は、過干渉編の予定ですのでよろしければ閲覧して頂ければ幸いです。

ありがとうございました。